古希祝いの歴史と文豪の逸話

最終更新日:2018/10/19
古希祝いに初の海外旅行

古希祝いの始まりは室町時代

昔は70歳おろか「還暦」の60歳すらもそうとうな長生きでした。そのため、古代中国では40歳から10年ごとに長寿を祝っていた時代もあったようです。その習慣が日本にも伝わり、次第に寿命が延びていった後も、 還暦後10年目の70歳を祝う習慣は残りました。

但し、実際に「70歳=古希祝い」とされたのは 、室町時代の頃ではないかとされています。「古希」の「古」は、古来の「古」、「希」は「まれ」と読み、 めったにはない珍しいことの意。つまり「古希」とは、「珍しいほどの長生き」ということです。

ちなみに昔は「数え年」(生まれた年を1歳とかぞえる)でお祝いしていましたが、昨今はみなさんが意識せずに使用している「満年齢」でお祝いする方が多くなっています。

また「古希」にはシンボルカラーがあり、それが紫色になります。飛鳥時代、聖徳太子が定めた「冠位十二階」という冠位・位階の制度では、黒や黄色、赤、青など様々な色がある中で、濃紫というのが最高位の色でした。

というのも、その昔ギリシャ・ローマでは王位や最上位を表すのに紫色を使っていたり、その影響で中国も紫を位の高い色として使っていましたので、そもそも昔から「紫」という色は世界的に見ても高貴な色として認知されていたようですね。

古稀にして生涯一度の海外旅行――志賀直哉

古希祝いと文豪と

私小説の神様とも呼ばれる文豪・志賀直哉。文学好きの方でなくても、志賀直哉というその名前を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

実は、彼の初めての外国旅行体験が古稀を祝う記念旅行でした。

この時、ある新聞社が旅費の提供を申し出たのを断わり、あまつさえ餞別までも断わったというのは、 頑固で清廉な明治人気質の志賀直哉らしいエピソードです。

古希祝いに初の海外旅行

その上、当の新聞社が紙上に連載した、記者による道中記の内容が『面白くするためのでっち上げ』 だったことにも怒り心頭。旅を終えての帰国後、疲労と称してそのまま自宅にこもり、 件の新聞社の人間とは会おうともしなかったとか。その清々しいまでの頑固さはさすがといえます。

しかし、その一方で、当初は半年以上をかけて欧州各地を周る予定だった旅行を半分ほどの3ケ月で切り上げて (それでも、忙しい現代社会から見れば充分に長期旅行ですが…)帰国した理由は、 実はホームシックになってしまったからだとか。

生涯に最初で最後の海外旅行は、世界が認める文豪といえども、 なかなか刺激的な経験だったようです